言葉のデザイン

この記事はSam Wright著「Designing The Words: Why Copy Is A Design Issue」の抄訳です。
This article is a translation of "Designing The Words: Why Copy Is A Design Issue" By Sam Wright.

デザインとコピーライティングの関係はこれまでに何度も話されてきました。いくら優れたコピーでも、そのビジュアルにオリジナリティが無かったり読みにくかったりしたら意味がありませんし、同じようにコンテンツがユーザーに届かないなら、いくら魅力的なページを作ってもユーザーの注意を惹くことはできません。コンテンツ中心の業界で働く私達は、このことを深く心に留めておくべきです。

しかしこれまで話題の中心になってきたことは、マイクロコピー(Webサイトの使い方などの小さなテキスト)やユーザーエクスペリエンスに関する些細な点に関してでした。これらの要素はもちろん必要不可欠ですが、この記事では視点を広げて、悪いコピーの裏にある本質的な間違いにフォーカスしてみたいと思います。

このトピックを選んだのには2つの理由があります。1つは、これを読んだライターがよくある間違いを犯さないようになってもらいたいから。そしてもう1つは、こちらの方が大切なのですが、コンテンツがユーザーエクスペリエンスの重要な要素だと主張したいからです。

以前、エリオット・ナッシュがデザイナーの責任についての記事を書きました。曰く、デザイナーは「ユーザーエクスペリエンスの全てをコントロールしたがる」そうです。「デザイナーはそのデザインの対象が何であれ、熱心なユーザーが何度も利用するようなものを作りたいと願い、そのために細部に至るまでの全てをデザインしたがる。しかし、それを実際に形にする実装作業にまで責任を持ちたいとは誰も思わない。」
しかし私に言わせれば、私達がコンテンツに責任を持とうとしないのは根本的に間違っています。

現実では、デザインはコンテンツと「一緒に」行なわれるもので、コンテンツのためにデザインするのではありません。lorem ipsumで埋め尽くされたページを作り、コピーライターが余白を埋めるようなプロセスは既に時代遅れです。そしてそれに代わるように、情報とのコミュニケーションの手段としてデザインを使う「コミュニケーションデザイン」と言う分野が成長してきています。しかし、いくらデザインが洗練されインフォグラフィックスが優れていても、情報を読者に伝える最高のツールはテキストだという事実は今も変わらないのです。

編集の重要性

ビル・ビアードはマイクロコピーを最適化するためのテスト方法についての記事を書きましたが、マイクロコピーよりも多くのテキストを対象としたとき、このようなテストは更に難しくなります。しかし、作家やジャーナリスト、コピーライターが何年もの間この問題に取り組んだ結果、幸運にも私達は今「編集」というコンセプトを手にしています。テストと編集の大きな違いはなんでしょうか?それは、テストが普通の一般人がコピーを評価してもらうのに対し、編集は書き言葉に対して豊富な経験を持った人に協力を求めることだという点です。

編集作業の大半は、文法をや句読点を直して反復を削り、テキストを流し読みしやすいよう整える、といったとても細かい作業です。しかし多くのユーザー中心デザインの手法と同じように、この作業は書いたものの背後にある本質的なもの、例えば言葉や読み手、更には自分自身をどのように捉えているかという思考を深く知るものでもあり、また未熟な詩人気取りの若者を、一人前のライターに育てるものでもあるのです。
しかし、Webや雑誌、ポスターなどで多くのコピーを見ていると、プロと呼ばれる人の中にもこの「編集」というものをマスターしていない人が多くいるように見えます。

この記事では、全てのライターやコピーライターが避けるべき3つの注意点を紹介します。

1.自信過剰な表現

新人ライターが犯す間違いの中で、これが一番ポピュラーでしょう。人は何かを書き始めると、まず初めにそれが自分の作品だと主張したくなります。自分の作品は世の中に氾濫している読まれもしない広告とは違い、未来の教科書に載るような、現代を代表する天才的な作品なのだと。

この問題はコピーライターにも当てはまります。現在までにペンで書かれた言葉の半分はマーケティング目的でしょうが、そんな中でもコピーライターは、自分の作品は「過去の広告」という深い海の底に沈むのではなく、注目を浴びるべき特別な作品なのだと考えたくなるものです。そして結果として、以下のようなコピーが生まれるのです。

「人生は旅ではない。旅は終わるが、我々は歩み続ける。世界は変わり、我々も変わる。捜し求めるのを止め、夢に導かれる。でも僕がどこに行こうと、君はそこにいる。僕の運、僕の運命、僕の幸運。」

信じられないかもしれませんが、これは高校生がノートに書いた恥ずかしい落書きではありません。グローバルに展開された広告キャンペーンのためにプロが書いたものなのです。このプロジェクトの広告費は膨大で、この文章をブラッド・ピットに読ませたほどでした。

この広告と、自分以外は皆うわべだけの世界に生きているのだと勘違いしている高校生が書いたつまらない詩には、同じ問題があります。自分は特別で注目されたいと願い、自分の作品が人々の記憶に残るものだと思っていますが、それが若気の至りであれ香水の広告であれ、実際にはほとんど何も語っていないのです。

では、私達自身がこのような間違いを犯さないようにするには、どうすればよいでしょうか?

ライティングの世界でよく聞くアドバイスに、「自分の知っていることを書きなさい」というものがあります。逆に、自分が書いていることの対象をよく知るのは良いことだとも言えます。多くの場合、「どんな理由で人はこれを読むのだろう?」という問いを自分自身に問いかけることで、ほとんどの問題を避けることができます。もしかしたら、その問いに対する答えは「それが便利だから」や「ただ面白いから」、または他の理由かもしれません。しかし文字を書き始める前に、この問いに答えられるようになっているべきでしょう。
先ほどの広告では、「どんな理由で人は “世界は変わり、我々も変わる” なんて聞きたくなるのだろう?」という問いに誰も答えられなかったのでしょう。

この部分は読み手に対して何も語っていません。何か深い意味があるように聞こえますが、何の情報も含まれていないのです。もちろんこれは変わり続ける世界と、ずっと変わらないシャネル No.5を対比させたものだと言う人もいるかもしれません。しかし、その前にある「旅は終わるが、我々は歩み続ける」というような、尊大な哲学者気取りのトーンで語られる言葉は、考えられる全ての意味を文章から奪っています。

中学生や高校生なら、成長とともに様々な立場を経験し、理解することによってライティングもうまくなるでしょう。それと同じように、もし自分のコピーに重みを加えたいと思ったら、それが広告やマーケティング用のコピー、コーポレートWebサイトに関わらず、自分が何について書いていて、何故読者はそれを読みたいと思うのかをしっかりと理解すべきです。

間違ったトーン

若いライターはキラキラ輝いて見えるものは何でもコピーし、すぐ自分の作品に使ったりすることがあります。大学でシェークスピアを読んだからと言って台詞をそのまま持ってきて、エドガー・アラン・ポーの本がかっこいいと言って言葉を抜き出し、映画で大学生が使っていた言葉がクールだと思って作品に取り込む。

結果として出来上がるのは、フランケンシュタインのようなツギハギだらけのライティングスタイルです。そして、これは良いことでもあります。書き方を学ぶのに他の優れた書き手の真似をするのは良い方法ですし、時間が経てばそこで真似たスタイルが成熟し、自分だけのオリジナルスタイルに変化することがよくあるのです。

外にある優れたものを取り入れるのは、プロのコピーライティングでも良いことです。ある銀行は、ATMの機械自体が壁に埋め込まれていたことから「holes in wall」(訳注:直訳は壁の穴。英語では韻が踏まれている。)と言われたのを気に入り、そのまま使いました。オンラインゲームのWorld of Warcraftはチャック・ノリスのジョークが気に入り、実際にTV広告で彼とそのジョークを採用しています。

しかし、プロとしてコピーを書くときにトーンを考慮に入れないと、結果はおかしなものになります。

例として、Kingpin Socialを見てみましょう。この企業はプレゼンテーションやディスカッションスキル、または社交性を高めるための、ソーシャルインタラクションと呼ばれるコースを提供しています。確かに、多くの人が他人とコミュニケーションをとるのが難しいと感じている時代に、そのためのテクニックとトレーニングを提供している会社は喜ばれることでしょう。
しかし、問題はWebサイトで使われているいくつかのフレーズにあります。もし誰かが会話の中で、「我々は証明された社会学的方法を活用し、あなたのプライベートやキャリア、または企業人としての成功を提供いたします。」や、「全ての人は、どのような社会的状況においても最善の結果を収めることのできるという自信を持つ価値があるのです。」と言ったとしたら、その人に対してどのように感じるでしょうか?

このようなコースは自分の殻を破ることに不安を感じている人を誘うように見せる必要があります。それと同時に、この会社では他人とのコミュニケーションが上手な人が働いているのだと示す必要もあるでしょう。「社会学的方法を活用」や「最善の結果」という言葉は全く逆の印象を与えています。

そして時にはパッチワーク効果に落ち着くこともあるでしょう。例えば、シンプルで効果的な”What We Do” (「私達について」)と書い後に、「私達はコンバージョンに繋がる効果的な広告を作るお手伝いをする、成果報酬型の小売業界向けマーケティング技術の提供と分析を行なう会社です。」という複雑な説明をすぐその下に書いたりする場合です。

ユーザー中心デザインでは、「ペルソナ」がよく使われます。ペルソナは典型的なユーザーを架空の人物として定義したもので、デザイナーはそのペルソナのためにデザインを考えます。デザイナーはペルソナの持っているニーズや欲求、知識などを熟慮し、それが全てデザインに反映されることで製品が作られるのです。

先ほどのコピーについての問題を解決するには、このペルソナのプロセスと逆のことをすればよいでしょう。コピーを書いた後に、顧客のビジネスを架空の人物として定義するのです。そのビジネスはどんな人でしょうか? 何が好きで何が嫌いで、どんなことを言う人でしょうか? そして書き上げたコピーを声に出して読んでみます。それはこの架空の人物が言いそうなことでしょうか? もし違うなら、なぜ違うと感じるのでしょうか?

スコットランドの地ビール製造を行なうBrewdogは最適なトーンを使っている良い例です。会社のWebサイトからビールのパッケージにいたるまで、全てのものに書かれている言葉はテンションが高くて面白く、少し非現実的なトーンで書かれており、一緒にビールを飲むのが嫌にならないような人に感じられるのです。
彼らのDead Pony Clubというビールには馬に例えた爽快なコピーが使われています。それは全く詩的ではありませんが、誰が読んでもそれがビールの爽快感の話だとすぐにわかるように書かれているのです。

自己認識

おそらくこれはライターが学ぶものの中で一番大切で、一番難しいものでしょう。だから私達は皆このことを気にしないようにしているのかもしれません。初めは誰もが躊躇することなくスタートし、自分の創造プロセスを楽しみながら、何か価値のあるものが出来上がるのだと信じています。しかし、ある日突然1つの考えが浮かびます。「もし自分がただの無能なライターだったらどうしよう?」 もちろん私にも経験がありますが、これはある種の驚きの瞬間です。

多くのライターはこの考えを振り払い、以前と同じように前へ進もうとするでしょう。そして他のライターは創造力が麻痺したように、次の言葉を繋げるのを止めてしまいます。しかし、全てのライターは必ずこの瞬間を経験します。そしてこの時に初めて自分以外の目で自分の作品を読み、「誰がこのコピーを読みたいと思うんだろう?」という、この記事の初めに紹介した問いに答えることになるのです。

多くのライターはこの壁を越えようとする時、製品を売ることに集中しすぎて、広告が持つ社会的なコンテキストや背景を忘れてしまいがちです。そしておそらくこれが、ソニーがプレイステーション ポータブルで信じられないほど人種差別的な屋外広告を行い、American Apparelが大被害をもたらしたハリケーン サンディを、ソーシャルメディアマーケティングのチャンスだと誤って判断した理由でしょう。
この記事の原稿を書いている時は、スコットランド銀行(Royal Bank of Scottland)のマーケティング上の失敗が注目されていました。この銀行は「Search RBYes」というキャンペーン(訳注:RBYesはスコットランド銀行の住宅ローンの名前)を行なっていましたが、Googleが自動で「RBYes」を「Rabies(狂犬病)」に訂正して検索してしまったのです。

このような間違いを犯さないようにするには、自己認識を高める必要があります。しかし残念なことに、誰かに「自己認識を高めよう」と教えるのは不可能なことです。私達のほとんどはそれを数多くの失敗から学ばなければいけません。そしてそのためにはまず、コピーライターやデザイナーなら持っていて当然と思われている「イマジネーション」が不可欠です。もちろんデザイナーがコピーライティングを行なうべきだとか、コピーライターがデザインソフトウェアを使いこなせないといけないという意味ではありません。しかし、広告が置かれる社会的なコンテキストが多様化した現在では、デザイナーとコピーライターは今まで以上に協力しあって作業しなければならなくなるでしょう。

まとめ

もしより深く学びたいと思ったら、Standardistasの書いた「The Craft of Words, Part One: Macrocopy」を読むのをお勧めします。この本を読むことで、デザインとコピーライティングがどのように関係しているのかが理解できます。
デザインとコピーライティンが別々の部屋で行なわれるプロジェクトは今でも数多くあり、ほとんどの場合お互いが何をしているのかさえ知らないでしょう。しかしコピーがその意味を持つためには、どのようなデザインで、どのような文脈でその広告が読まれるのかを理解していなければいけません。